日本には「出る杭は打たれる」という諺があります。
社会に出てもこの傾向は変わらず、とくに大企業のように、得点よりも失点が出世に響く世界では、いかに無難にやりすごすかが、生き延びる知恵でもあったりします。
この傾向は、より大勢を相手にしたり、より自分の立場が低い場合に顕著です。
もっともよく現れる「服装」の例でお話しします。
「銀行員」や「アナウンサー」など、多くの人にみられる方々は、より保守的な服装となりがちです。
最近でこそ変わってきたきらいはありますが、夏場の今でも「スーツ」に「ネクタイ」といういでたちはよく目にします。
立場が低いということでいうと「就職活動生」がその最たる例でしょう。
もともと20年以上前から「リクルートスーツ」という無難を絵に書いたような格好が良しとされてきました。
それは面接官が「スーパークールビズ」の場合であっても、変わりません。
「服装がきっかけで落ちたくない」という意識が働き、もっとも多数派な服装に落ち着くのは、想像に難くありません。
もし今大学時代に戻って、就職活動をするとしたら、どんな格好をするでしょうか。
よっぽどの人でなければ、無難な、格好を選択するでしょう。
クールビズに関する日経ビジネスオンラインのアンケートがあります。
このなかで、職場で「ポロシャツ」の着用を認められていると回答した人が約40%います。
そして、80%近くの方は「ポロシャツの着用が認められるべき」と回答しているのです。
単純に40%くらいの方が、「我慢をして」ポロシャツ以外のシャツを着ているということが言えそうです。
もともとクールビズとは「冷房の効いた社内でスーツ等を着用する人がいる一方で、冷え性対策に毛布をかけるような」矛盾を解消すること(=冷房の節約等)を目的として導入されました。(via Wikipedia)
それでもこんな記事もあるように、日本人はとても周囲への配慮を重要視します。
仕事で何を着るかは相手があって決まる。同僚だけでなく、取引先の男性、女性、目上の人も含まれる。仕事着は「外の人」に気をつかって選ぶもの。その試行錯誤こそがファッションの本質なのかもしれない。確かにその要素もありますが、だからといって「何を着るか」が過度に制限されるのはどうでしょうか。
一般的に、いわゆる工場で、スーツではなく「作業着」を着ている職場も多くあります。
社長が作業着という会社も多いのです。
お客さんと会うときも、社内であれば作業着のままという社長もたくさん見てきました。
何が「相手に不快ではないか」を突き詰めると、「制服」しか残らないような気がします。
スーツが男の制服という一面があるように。
「無難」という病が、日本を席捲するのは致し方ないことなのかもしれません。
得点よりも失点のほうが目立ちやすく、また、相手に不満点がある場合、文句は「文句の言いやすいところ」へ集中します。
堀江貴文氏がプロ野球問題で騒がれた頃「ネクタイをしろ」という理由でTV番組内で叩かれたこともありましたね。
もっとも無難を突き詰めれば、クールビズにも制服が必要です。
全員が同じデザインのポロシャツであれば、不快に思われることはないでしょう。
そんな社会が望ましいのでしょうか。
いつか「ポロシャツの着用が認められるべき」と回答した80%近くの方が、全員ポロシャツを着られる世の中になることを切に望みます。
無難という病が完治する日が来ることを。